チャレンジ物語 第一話〜落ちこぼれだったからこそ〜
私は高校生の時、通知表に書かれる学年順位が、3年間不動の3位でした。
どうしても抜けない上の2人。。と、いう訳では無く、1年から2年生になる時、その2人はどうしてももう1年勉強をやり直したいという強い意志により、留年(笑)
2年から3年の卒業時に至るまで全9学期全ての通知表にビリから3位の順位が書かれていました(^_^;)
特に3年生の最後に至っては赤点の数がかなりあって、担任の先生が色々と尽力頂き、何とか?卒業させて頂くという様。。。(汗)
両親にお金を出してもらって、行かせて貰った専門学校も三ヶ月で退学。
その後バーテンを目指しBARで働く様になりました(笑)
絵に描いたような【落ちこぼれ人生】でした(^_^;)
バーテンをしていた時代に至ってはここには到底かけない様な事だらけ。。。人様に迷惑を掛けまくって生きていました。
おおよそ、社会人として、【普通】と呼ばれるには程遠いスタートを切りました(^_^;)
しかし、その反面、本当に色々な職業であり、広い年代の方々と接する事が出来て、毎日が ムチャクチャ 勉強になりました(笑)
今でも印象的なお客様の職業といえば
お坊さん
オカマさん
ヤ◯ザ屋さん
デパートの方
先生
等。。。
かなり幅広かったです(^_^;)
何にも知らず、勢いだけで家を飛び出し、水商売へ
俗に言う「世間の波」の「高さ&強さ」ったら半端じゃ無かったです(笑)
逆に、世間とのギャップが大きかったからこそ?【世間知らずな自分】を強制的に感じさせて頂けたのだと思っています。
大きく分けると、
バーテン→
大黒屋デパートで紳士服を販売→
パチンコダイマツ(アルバイト〜店長)→
営業(パチンコの機械販売)→
自営業。
こんな風に仕事が変わっていく訳ですが、このバーテン時代に培った、広い世代の方々との話し方や、どんな話題なら受け入れてくれるか?等、なかなか経験出来ない様な事が沢山ありました(^-^)
こんな調子で世間に出た私。
当たり前の事を当たり前の様にやっていたのでは、周りの人達に認めて貰うのは到底無理な話。
【チャレンジ】はこの時から始まりました。
それからの気持ちやチャレンジして来た事等も含め、【チャレンジ塾】へ続いて行くのです(^-^)
これまでの【会長物語】とは大分テイストが違うのですが、もし?ご興味ありました、お付き合い頂けましたら、幸いです(^-^)
宜しくお願いしますm(_ _)m
続く