広島と私
昨年11月に法人会の全国大会があり、広島に行ってきました。
・一生に一度は訪れてみたい場所
・その時の基調講演が チョコモナカジャンボ【吉川晃司さん】
その時の詳しい話はこちらにあります。
その時の吉川晃司さんは衝撃的でした。
その日初めて「被曝◯世」という言葉がある事を知りました。
それともう一つ、この広島に行った際に初めて共に行動をし、色々な部分に触れ、ある人の優しさを理解した瞬間でもありました。
そして、実はその数日間の会話の中から「中村文昭さん」の名前でてきます。
そうです。
その彼と一緒に3月の講演へと続き、7月の上映会でもサポートしてくれた、梶川君です。
今の活動の起点となった場所、広島。
そして、もう一つあります。
それは、3年半前に遡ります。
震災時まだFacebookはまた普及しておらず、電話やメールもあまり機能しなかった中、唯一の情報元や交流ツールとして活躍したのはTwitterでした。
避難生活数日後、あるつぶやきが流れて来ました。
「広島球場にて、始球式を行ってくれたのは、福島から避難してきた、Sさんです」
ん?
sさん?
同姓同名かな?とも思ったのですが、確かめる為に、私の知っているSさんに電話してみると、やはり本人でした(^_^;)
津波で実家が流されたり。。諸々の理由で広島へ
そのSさん。
実は更に遡ると20年前、私がデパートで働いていた際に色々教えてくれた先輩で、そこから付かず離れず未だに接点もあり、本当に大きな縁を感じる方です。
簡単に説明するだけでも、私と広島との間に接点は沢山あります(^_^;)
そんな経緯もあり、今回はその先輩の活動を支援したい気持ちや、広島という土地で得たご縁や出来事、様々な気持ちから少しでも?お手伝い出来ればと思いました。
私達の住む福島の事も、
「問題が風化していっている。」
と言われたり、【過去の出来事】とされてしまっている気がします。
それだけ多くの災害や事故が起きているのも事実です。
【自分達だけをみてください】と、言うつもりはありません。
だからと言って、解決していない問題や、一つ前、二つ前の出来事に対してもっと積極的に目を向ける必要性もあるのではないか?と、思いました。
【困った時はお互い様】と考え
相手が困っている助け
又、こちらが困った時は助けられ
そんな生き方をしたいと思います(^-^)