チャレンジ物語 第3話 〜小学生期〜
こんばんは(^-^)
白メガネ荒川です。
今回は小学生の頃にあったエピソードについて書きたいと思います。
今も継続されているのかどうか分かりませんが、私達の子供の頃は夏休みになると、男子はソフトボール、女子はフットベースのチームを地区ごとに作り、大会が開かれていました。
私達は第二次ベビーブーム生まれです。
同じ学年だけで9人集まってしまう位子供が多かったです。
1年生〜6年生となると同じ町内だけでも結構な人数になります。
私が4年生の時の事です。
佐藤さんという方が監督、うちの父親が助監督でした。
良くある話ですが、トーナメントを勝ち上がっていく中で取り敢えず一度くらいは打席に立たせてみようとか。。。ちょっと位試合に出させてやろうという監督の【思い出作り采配?】ってありますよね?(笑)
この年の試合にもそれは見受けられました。
しかし(笑)
3人だけは1度も試合に出させてもらう事もなく終わってしまいます。
はい。
そうです。
3人の内の一人は私でした(恥)
私の父親は社会人になってからも野球をしていた位野球が好きだったからこそ、監督のボランティアも引き受けたんだと思います。
ところが、その息子は全く 役立たず 戦力外通告(笑)
1度も試合にでれない我が息子を見て、どれだけ悔しくて、情けない思いをしたのでしょうか。。。。(^_^;)
大会が終わってすぐ。。。。
【特訓】が開始されました(^_^;)
毎週末、天気さえ良ければ朝から運動公園にいって全てにおいてのメニューをこなします(笑)
正直言うと泣くほど辛い時もありました。。。(笑)
外野フライの練習の際に、明らかにホームラン的な当たり。。。
どう考えても間に合わない(取れない)あたりに倒して、少しゆっくり走っていると、遠くから
「はしれーーーー!!!」
という父親の声。。。(^_^;)
これを数発浴びました。。。。
涙を流しながら走りました。。。。(T ^ T)
昨夜、松岡修造さんが子供達にテニスの特訓をする番組をしていて、子供達が泣きながら練習している姿を見て、何だか小学生の時の自分と重なってしまいました(笑)
でも、その【修造さんの気持ち】
【当時の父親の気持ち】
どちらも一緒だったんじゃないかな。。。と思いました(^-^)
でもその【おかげ】で、5年生の時は全ての試合にスタメンで出場出来ました(^-^)
何かを乗り越えた時の【達成感】。
本当に貴重な経験をさせて貰いました。
それがあったから【こそ】大人になってからも、最初から【無理】とか【やる前から出来ない】と言わないようになれたのかもしれません。
だから【こそ】、沢山の子供達に諦めない気持ちや経験をして欲しいと思うのでした。
追伸:
満を辞して迎えた六年生。
3年間同じ佐藤監督。
ショート
キャプテン
4番
練習が始まる段階で指名されました。
その10分後、転んで左腕骨折(笑)
見事な10分天下だった事は忘れられない思い出話です(笑)
その夏、小学校のイベントで磐梯山を登山した時、ずっと父親は私の荷物を持って、一緒に登山してくれました(^-^)
※基本的に親同伴のイベントではありません。
本当に父親には感謝してるし、して貰った分、私も未来に繋がる子供達に何かを伝え、残して行きたいと思ったのでした(^-^)
続く